シンポジウム等の記録

Jürgen Osterhammel教授講演会

日時:2006.7.10
会場:東京大学・駒場キャンパス|18号館コラボレーションルーム3
主催:ドイツ・ヨーロッパ研究センター

  • 19世紀世界史の鍵としての「文明」と「文明化の使命」

    Jürgen Osterhammel(コンスタンツ大学教授)

    司会

    木畑洋一(ドイツ・ヨーロッパ研究センター長)

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さる2006年1月18日、ドイツ・コンスタンツ大学歴史学部(近現代史講座)教授であるユルゲン・オスターハンメル氏による講演会が行われた。 氏の専門領域は中国史、そして東アジアにおけるイギリス帝国主義の歴史であるが、関心はそれだけにとどまらず、 植民地体制一般に関する比較研究、ヨーロッパにおける歴史叙述やいわゆる「異文化としての他者」の表象の問題、 さらには近代以降のヨーロッパを中心とした「世界の一体化」や「グローバリゼーション」の歴史などといった分野にまで及び、 それぞれのテーマで知的興奮に満ちた研究成果を発信している。

さて1月18日に東大駒場キャンパスで行なわれた講演会では、オスターハンメル氏の関心領域である「世界史」の問題を新たに「文明」若しくは 「文明化」という視点から解釈し、構築しようとしたものであり、氏の「世界史」へのアプローチが新たな段階へと踏み出したものだと言える。 氏はまず「世界史」、ないしは「グローバルヒストリー」の研究を取り巻く環境について、問題提起を行った。すなわちこの分野の研究では アメリカが圧倒的な優位に立っているが、アメリカの研究者たちは英語以外で書かれた研究成果について驚くほど無関心でいる。 そんな時だからこそ、日、独、仏などの研究者はもう一度原点に立ち返り、そもそも「世界史とは何か」、「グローバルヒストリーとは何か」 と問い続ける必要がある、というわけである。そこで氏はドイツの知識人が「グローバルヒストリー」に果たした役割について紹介する。 18世紀のドイツは、現在では想像もできないほど「世界史」について多くの知識人が関心を寄せた時代であった。 啓蒙主義の流れを汲む、 ゲッティンゲンを中心とするサークルや、カント、A.V.フンボルトらを中心とする「コスモポリタニスト」たちは、非ヨーロッパ社会の人々の生活に対してはるかに寛容であり、 また高い評価を与えていた。特に後者がヨーロッパの植民地主義の欺瞞を厳しく批判したことはよく知られている。しかし状況を一変させたのはランケを中心とする「歴史主義」の登場であった。 厳密な史料批判により「科学的な」叙述を目指そうとするランケの学問的方法論は、しかしながら一方で非ヨーロッパ社会に対しては異常なまでの「無関心」な態度を取ったと氏は指摘する。 そしてそのことは―マルクスやマックス・ウェーバーといった経済史における例外はあるにせよ―今日までドイツの歴史学の状況を規定することになるのである。

圧倒的な「ヨーロッパ史優位」であるドイツの歴史学会のなかで、「世界史」を記述することは如何にして可能か。 これについてオスターハンメル氏は、「様々な地域間の比較による世界史」を提唱する。ドイツはヨーロッパ史の分野では研究者層が厚いし、 非ヨーロッパ史についても―就職機会など、彼らの取り巻く環境は必ずしも良くないが― 日本史、中国史、アフリカ史といった専門家が個別に研究を続けている。そうした研究者間が交流することによって、 少しでも「国民国家史」を超える試みを続ける必要があるというわけである。

それでは、そのような「世界史」、とくに19世紀の「世界史」を記述する際に核になる分析装置としてどのようなものが考えられるだろうか。 それがこの講演のテーマでもある「文明(civilization)」もしくは「文明化の使命(civilizing mission)」であると氏は指摘する。 氏によればこの概念は19世紀の国際関係、世界情勢を解釈するキーワードであったばかりでなく、今日でも国際社会の大きな変化の際には 繰り返し想起されるものである。すなわちNATOによるユーゴ空爆やアメリカ主導で行なわれたイラク戦争などが、 いずれも「文明を脅かす野蛮を排除する」という大義名分の下に正当化されたことは記憶に新しい。

近代ヨーロッパにおいて「文明化の使命」という思想が成立するきっかけとなったのが、1789年のフランス革命とそれに続くナポレオンの登場である。 ナポレオンはすでに1798年のエジプト遠征の際、フランス革命の理念であった「自由」や「平等」をナイル河畔に実現するという、 確固たる意志を持っていた。それに続く欧州征服の際も、ナポレオンは自らをアンシャン・レジームからの解放者と見做していたし、 征服されたほうの人々も(初めのうちは)彼をそういう者として見ていた。氏によればフランスは初めて「文明化の使命」を大々的に掲げた国家なのである。

しかしながらフランスは、その植民地では「奴隷解放」が1848年までなされなかったように、この理念を自国の植民地には適用しようとしなかった。 それに対しイギリスは積極的に「奴隷解放」に取り組んで19世紀前半にはそれをある程度達成するに至った。こうしたヴィクトリア朝時代の 「反奴隷運動」がイギリスの「文明化」の最大の特徴である。

これに対し、そのような「文明化すべき」という西欧からの「圧力」を受けた側はどの様な反応を示したのか。氏の挙げた中国、 日本、シャム、トルコやロシアなどの例では、「西欧の衝撃」に危機感を抱いたエリート層が西欧の学術を自国語に翻訳し、 あるいは使節団をヨーロッパに派遣してその成果を「上からの近代化」という形で実現させ、西欧の侵略から自らを防衛しようとした。 さらに重要なことは、彼らが自国内に「内なる野蛮」を創出し、近代化、文明化の対象としたことである。日本のアイヌ、 帝政ロシア国内のイスラム教徒たちはそうやって「未開」のレッテルを貼られ、近代化政策の「標的」となっていった。

「文明化」という言葉には必然的に「文明化」すべき「野蛮」の存在が前提となっている。そのためこの概念は植民地支配を 正当化する言説に決定的な論拠を与えた。氏も指摘するように、確かにこの概念が、「他者」に向けられ、何らかの強制力を伴って 実際の植民地政策に反映された時、それがたとえ善意の行為であったとしても、取り返しのつかない惨禍を招くこともある。 しかし、氏はそうであっても世界史上に見られる「文明化」のパターンを冷静に分析するべき、と主張する。 「文明化の使命」は何も西欧の占有物ではない。自国民以外を「化外の民」として差別する思想は中国の「華夷秩序」の根本原理であるし、 ある意味明治維新以来、日本がアジア諸国に対して(今日まで)取って来た態度にも通じるものがある。またイギリスの「反奴隷運動」や 「アパルトヘイト」以後の南アフリカに見られる、「異人種」間の和解など、「文明化」が他者ではなく自分たちの問題として引き受けられた時には、歴史的に肯定的な評価を下すべき事例も存在している。 重要なのはこうした「文明化」のパターンを比較分析し、新たな「世界史像」を提示できるか、ということなのである。

以上概観したように、この日の講演は非常に盛りだくさんの内容であり、聞き手の我々にも相当の知的レベルを要求するものであった。 惜しむらくは講演会の時間の都合上、質疑応答の時間がほとんどなかったことである。しかし氏の講演は、普段ドイツ史、イギリス史、フランス史、或いは日本史といったようにややもすれば「蛸壺」の中に篭りがちな我々の研究姿勢に警鐘を鳴らすには充分であったし、 そうした閉鎖性から一歩踏み出して、「世界史」について考える重要な契機になったものと思う。

磯部裕幸 (東京大学院 総合文化研究科 博士課程)