シンポジウム等の記録

第7回研究会議(シンポジウム)
関東大震災から81年
―朝鮮人・中国人虐殺を再考する

日時:2004.9.5
会場:東京大学・駒場キャンパス|学際交流ホール
主催:DESK:

  • 開会挨拶・趣旨説明

    石田勇治(DESK)

    閉会挨拶

    木畑 洋一 (DESK)

    総合司会

    川喜田 敦子(DESK)

  • 第1セッション:世界史のなかの朝鮮人・中国人虐殺

    基調報告 「震災直後の首都圏で何が起きたのか? ―国家・メディア・民衆

    山田昭次(立教大学名誉教授)

    東アジア近代史における虐殺の諸相

    笠原 十九司(都留文科大学)

    “水晶の夜”とナチ・ジェノサイド

    芝 健介(東京女子大学)

    司会

    井上久士(駿河台大学)

  • 第2セッション:総合討論―学際的アプローチの試み

    コメンテーター

    佐藤達哉(立命館大学)
    申ヘボン(青山学院大学)
    高橋哲哉(東京大学)
    黒住 真(東京大学)

    司会

    石田勇治(DESK)

2004年の9月は「関東大震災から81年」であり、同名のシンポジウムがいくつか行われた。以下に報告するこのDESK共催のシンポジウムがほかと異なるのは、これが「ジェノサイド研究の展開(CGS)」の一環として行われたことである。各セッションの表題を見て分かるように、このシンポジウムは、関東大震災時の朝鮮人・中国人虐殺を日本と朝鮮・中国の関係史にとどまらず、世界史的観点から見ようという試み(第1セッション)と、歴史だけではなく様々な分野から考察しようという試み(第2セッション)の二大特徴をもっていた。

「ジェノサイド研究」の一環であるとはいえ、震災時の朝鮮人・中国人虐殺を「ジェノサイド(集団殺戮)」である/ないと断定することが目的ではなかった。どの報告者・コメンテーターも、各々の専門分野と日本の81年前の出来事、それに「ジェノサイド」という言葉の間に相互に、慎重に距離を置いているように見えた。それゆえ「舞台上で様々な人がそれぞれの話をしている」という印象を受けたことも否めない。以下では各セッションの内容を簡単に紹介してみよう。

第1セッションの冒頭では、山田昭次氏が、朝鮮人虐殺事件に関わる諸問題のうち「二重の国家責任」(=朝鮮人が暴動を起こしたという誤認情報の流布とその責任の隠蔽)と「民衆責任」(=虐殺への加担)、そして「新聞の責任」(=朝鮮人への偏見を促す報道や政府の政策に対する無批判)に焦点をあてた基調報告を行った。山田氏は、虐殺の歴史的前提である当時の日本社会と、「テロ」への危険に警戒する現在の状況とが似ていると指摘した。また、今日の日本国家と日本人に対して次のように苦言を呈する。現在の北朝鮮による拉致事件の被害者と、震災下の虐殺や戦争期の強制連行の被害者とは同等の基準で、国家を超えた視点で救済されるべきである。民衆がまずその責任を認めない限り、国家の責任を問うことはできない……。そうしなければ、日本に在住する韓国・朝鮮人が自分たちの祖先供養の碑に真実を書き込めないのだとする指摘が心に残った。

笠原十九司氏による第2報告は、近代日本の軍隊や警察が植民地支配や侵略戦争に際して起こした虐殺事件を通史的に概観、分析しており、その範囲は1868年の戊辰戦争から1937年の日中戦争まで20件以上に及ぶ。笠原氏はそれらを行為者、内容、被害者、動機という形で整理し、その結果、戊辰戦争時の「官軍」による暴虐行為と、日中戦争時の日本軍による行為との類似に驚いたと言い、そこに軍隊という近代の制度が前近代の規範を引きずる「規範の継承」が見られると指摘した。1919年の植民地朝鮮での三・一運動諸事件に、震災時と同じ「虐殺の構造」を見たのは笠原氏だけではないだろう。

第3報告は、芝健介氏が西洋史の立場から、1938年のドイツでのいわゆる「水晶の夜(=ユダヤ人に対するポグロム)」を取り上げ、時代背景、概要、責任の所在、住民の反応について概観した。それによると、日常生活の中ではユダヤ人の経済活動に高い関心を示した民衆もユダヤ人の虐殺には無関心であったという。また、ユダヤ人迫害の過程においては「民の怒り(Volkszorn)」が口実に利用され、そこに「国民の支持」があるとされた。「水晶の夜」はナチス党主導で虐殺が組織されていったことが明らかになっている。そのうえで芝氏は、「水晶の夜」はドイツ国家総体の犯罪であり、ホロコーストの前段階であったと結論づけている。

ドイツ史、とりわけナチス=ドイツ史の一節であるこのユダヤ人ポグロムを先の山田・笠原両氏の報告に重ねて聞くことには、正直言って困難が伴った。そしてこの困難こそ、私(たち)がこれまで日本・東洋・西洋史??このような分類それ自体に議論の余地があるが??の枠を超えて歴史を見る努力を怠ってきたことの表れと言える。第1セッションの三つの報告により、日本史、東洋史は西洋史の事実解明の緻密さを学び、日本における西洋史もまた、東洋との比較という新しい視座を獲得したのではないだろうか。

続く第2セッションは、分野の違う4人の専門家によるコメントであった。佐藤達哉氏によると「うわさ」は「情報空間を埋める憶測」であり、震災直後の人々の不安や混乱を「朝鮮人暴動」という噂が埋めたと推測できる。申惠?氏は国際人権法の立場から次の疑問を呈している。当時、日本政府は日系人保護の目的で、人種平等条項を国際連盟規約へ入れるよう訴えていた。この行動と、明らかな民族差別によって起こされた朝鮮人虐殺とは合致するのか。日本の朝鮮植民地化の過程は朝鮮人の民族性が奪われる過程であったとも言えるが、高橋哲哉氏は、抵抗する者を抹殺する思想が生まれた背景として、この植民地化の過程??文化的ジェノサイド??にも注目すべきだと主張している。セッションの最後には、黒住真氏が、なぜ虐殺が「起こる」かの理由から、「起こらない」ための条件へと思考のシフトが必要だと指摘した。これは将来の平和構築のための提言であり、同時にシンポジウムに欠けていた視点を補うものであった。

関東大震災下で起きた朝鮮人・中国人虐殺を世界史的観点から、また様々な分野から考察するという試みは、この会場で、多くの課題を抱えながらスタートした。舞台上で「様々な人がそれぞれの話をし」たことは、宇宙空間に集まり始めた「ちり」のごとく、これから何かを形作っていくのだろう。その形成を見守り、またはそれに参加することで、自分も「ちり」の一員になれるかもしれない、そんな研究の広がりを期待させるシンポジウムであった。

松村由子(東京大学大学院総合文化研究科地域文化研究専攻博士課程)